二胡を煮込んだアナコンダ
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毎日カラスヤサトシ/カラスヤサトシ 211「タクシーにて」 - モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト モアイ

スーパーで働くサンドラ・バートさん(56)は、棚の整理中にいつも歌を歌っていた。このスーパーでは以前にラジオを流していたが、印税の管理団体PRSから著作権使用料を要求され店内放送を中止。その後はバートさんの歌だけが唯一の店内放送となった(もちろん棚の整理中だけだ)。

 しかし、PRSはこれを見逃さなかった。なんと今度はバートさん個人に対して「許可を得ていないパフォーマンス」として著作権使用料を要求。歌をやめなければ訴えるとまで警告したのだ。

67:名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/09/10(水) 10:32:56.23 ID:ftOv9GAL0.net
植村直己はその著書の中で、「フランクリンの大遭難」はフランクリンらが現地のエスキモーが有する狩や生活の知恵に学ばず、
西欧的な生活流儀に固執した故に自ら招いた惨事であるとして批判している。



157:名無しさん@13周年:2014/09/10(水) 11:08:02.22 ID:+3M3XtTT6
»67
>植村直己はその著書の中で、「フランクリンの大遭難」はフランクリンらが現地のエスキモーが有する狩や生活の知恵に学ばず、
>西欧的な生活流儀に固執した故に自ら招いた惨事であるとして批判している。

これは重要なんだよねえ。
日本はアイヌの寒冷地の暮らしから沖縄の熱帯地の暮らし方まで
生きた知恵があるので、実は大変幸運なのだ。
本州にも昆虫食の文化まであるから、
天変地異への適応性を持ってると思うな。

明治期までの日本人が、今と比べればとてつもない体力を持っていたということは、当時日本を訪れた外国人の残した多くの文献に記されている。今回はその中の幾つかを紹介してみたい。
 まずは、ドイツ帝国の医師・ベルツの手による「ベルツの日記」から。
 エルヴィン・フォン・ベルツ(1849~1913)はドイツ生まれ。ライプツィヒ大学で内科を修めた後、27の歳に明治政府によって招聘され、以後29年間日本に滞在する。幕末から明治にかけて日本が「殖産興業」を目的に先進技術や学問・制度を輸入するために雇用した、いわゆる「お雇い外国人」の一人だった。東京医学校(後の東京大学医学部)において医学や栄養学を教授し、滞在中日本人女性(花子)を妻に娶っている。
 そのベルツが、ある日東京から110km離れた日光に旅行をした。当時のこととて道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いたという。しかし二度目に行った際は人力車を使ったのだが、なんと前回よりたった30分余分にかかった(14時間半)だけで着いてしまった。しかもその間は一人の車夫が交替なしに車を引き続けたのだった。
 普通に考えれば、人間より馬の方が体力があるし格段に速いはずなのだが、これではまるで逆である。この体力はいったいどこから来るのだろう。ベルツは驚いて車夫にその食事を確認したところ、「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」という答えだった。聞けば平素の食事も、米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な低タンパク・低脂肪食。もちろん肉など食べない。彼からみれば相当の粗食だった。
 そこでベルツは、この車夫にドイツの進んだ栄養学を適用すればきっとより一層の力が出るだろう、ついでながらその成果を比較検証してみたいと、次のような実験を試みた。「ベルツの実験」である。

 22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人に従来どおりのおにぎりの食事、他の1人に肉の食事を摂らせて、毎日80kgの荷物を積み、40kmの道のりを走らせた。
 然るところ肉料理を与えた車夫は疲労が次第に募って走れなくなり、3日で「どうか普段の食事に戻してほしい」と懇願してきた。そこで仕方なく元の食事に戻したところ、また走れるようになった。一方、おにぎりの方はそのまま3週間も走り続けることができた。

 当時の人力車夫は、一日に50km走るのは普通だったという。ベルツの思惑は見事に外れたのだった。彼はドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、日本人には日本食がよいという事を確信せざるをえなかった。また彼は日本人女性についても「女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことがない」とももらしている。それらの結果、帰国後はかえってドイツ国民に菜食を訴えたほどだったという。 
 西欧人から見れば粗食と見える日本の伝統食が、実は身体壮健な日本人を育てる源泉だったという証左は枚挙にいとまがない。例えばフランシスコ・ザビエルは1549年(天文18年)に、「彼らは時々魚を食膳に供し米や麦も食べるが少量である。ただし野菜や山菜は豊富だ。それでいてこの国の人達は不思議なほど達者であり、まれに高齢に達するものも多数いる」と書き残している。

昭和8年(1933年) 特別大演習観艦式  https://www.youtube.com/watch?v=fvnRhsjIzNA 戦艦や巡洋艦が生きて動いてる

ある人物が危険で、何か大変なことをしそうだという通報に対して、具体的に可能な実効ある対応とは何か。その人物を監視下におく? その人物を拘束する? そんなことが行われるとしたら、それは恐ろしい社会である。危なそうだからといって、予防と称して、個人の自由を奪うことを容認するのは、限りなく不健全な考え方である。
だから、大事件後になって、「事前に通報があった」ことを問題にするのは、ほとんど意味がない。ほとんど意味がないのが普通だ。しかし佐世保事件はこの「普通」があてはまらない。なぜなら、通報したのが精神科医だからだ。
kininaruarekore:

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*3:アメリカでは未成年の女性がチャットで知り合った複数人の男性に自分の裸の写真を送ったところ、児童ポルノ法違反で自分が捕まる = 犯罪者にされるという事例も起きています。つまり、世界的な風潮である児童ポルノ禁止法は、その名のとおりポルノ禁止法であり猥褻物の取り締まりや思想犯を吊るし上げることが主目的であって、性犯罪者を摘発したり児童虐待を防止したり子供の人権を保護することを目的とはしていません。
オナ禁・誓いウォーカーですが、3日目で暗黒面に堕ちました